ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

わたしにとってのフォーカシングの「効果」。フォーカシングをはじめてから微大に変わったこと。②

今日も、フォーカシングを初めて変わったことについて書いてみようかなぁと思っています。フォーカシングの「効果」についての実証的な研究ではなく、フォーカシングを日常的に親しむようになって、わたしが体験している変化についてです。

↓前回記事

k-kotekote.hatenablog.com

フォーカシングを始めてから変わったこと

③他人に優しくなった?

自分で言うのもなんですが、他者に対する態度が良い意味で変わった気がします。

 

フォーカシングでは、自分自身に対して、友好的な態度を取ることをすすめます。(フォーカシングでは、久しぶりにあった友達に挨拶するように、自分自身に対してあいさつしましょう、といった提案がされたりします)自分自身の感じていることに対して友好的に耳を傾けることを学ぶことは、周りの人に対しての同様な態度をも涵養しているのかもしれません。

 

自分にも、自分の「ペース」があり、物事に対する「感覚」、決断や発見の「タイミング」や「流れ(プロセス)」があるように、周りの人たちにも、それぞれの人特有の「ペース」、物事に対する「感覚」、決断や発見の「タイミング」や「流れ(プロセス)」があるのだということ。そうしたことを理屈だけでなく、体験的に知りました。自分のそういったペース・感覚・タイミング・流れ(プロセス)…を信頼し、大事にするようになると、他者のそれも信頼し、大切にしたいと思うようになりました(むしろそれをないがしろにするようなことは、難しくなった気がします)。

④なんとかなると思えるようになった

これは、上の③で書いたこととも関連します。

「多分なんとかなる」と思えるということには、一種の「信頼」を伴っています。

これは「能天気な成り行き任せ」「無責任な放任」「状況に対するあきらめと回避」とは異なるもので、「人のもつ可能性に積極的な希望を持つこと」だと言ってもいいかもしれません。

自分にしろ、他人にせよ、なんとかなる(なっていこうとする)力が存在する、と信じられるということ。結果としてなんともならないかもしれないが、それでもなんとかなっていく力がある…というような。前回の記事で「人ってすごいな」と言いましたが、人の持っている力や可能性を信じられるということも、自分の体験や他の人がフォーカシングを行っているのを目の当たりにすることから学んだことの一つです。

⑤詩を読めるようになった

これは、これまで述べてきたことと、ちょっと毛色の違う変化かもしれません。

これまで、私は「詩」なるものを読んでも、全くピンとこず、面白みを感じられませんでした。しかし、フォーカシングを始めてから詩を読むことが多少できるようになりましたし、楽しめるようになったという変化が起こりました。

 

どうしてか分析してみると、フォーカシングをするということ(「実感から言葉にする」というプロセス)は、詩的な言葉の生まれるプロセスと、多分同じだからだと思います。フォーカシングを通して体験から生まれる言葉は、ユニークかつ新鮮さを備えた創造的な表現であり、その意味で詩的です。自らがそのように言葉を生み出すことを体験することで初めて、他者の詩的な表現を理解する手がかりが得られたのだと思います。

 

これまでは、詩を論理で「理解」しようと読み、理解不能で終わっていたのだとしたら、今は「理解」はできなくとも、詩を「言葉の香りをかぐように」読みます。あるいは語の「リズムや響きを聴くこと」自体を楽しみます。そもそも詩が、理屈で理解できてそれに尽きるものならば、はじめから論理的に書けばその目的は達成できる。それに尽きないものがあるから、詩には詩の固有の価値がある。それが例えば、言葉の香りであったり、響きやリズムであったり、手触り、雰囲気であるわけです。

 

と言ったことも、フォーカシングを実践する前のわたしならば、よくわからなかったでしょう。「詩を(少しは)読めるようになった」。これは大きな変化です。

 

おわりに

前回のものとあわせて、5点ほど、フォーカシングを学んでからの変化について書いてきました。

 ①買わなかった服を買うようになった

 ②人の独特さが生まれる現場に立ち会う喜びを知る

 ③他人に優しくなった?

 ④なんとかなると思えるようになった

 ⑤詩を読めるようになった

簡単にまとめると、対人関係や、趣味、日常的な選択・方向決定などにおいて、「自分/周りの人々の、はっきりと言葉にはなっていない"感じ"を認め、大切にすること」が基盤となって大きな役割を果たしている、ということだと言えます。特に、「(他人にとっては価値が無かったり、意味の無いことであったとしても、)いいと感じるものはいい。その感覚に従って、何かを選べる」ということは、わたしにとっては結構重要だな、と思いました。(それは、詩であったとしても、文章を書く際に用いる言葉であったとしても、食べ物でも、着るものでも、職業であっても。)

 

次は、フォーカシングを学ぶには、と言ったことを書いてみようかな、と思案中です。