ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

腑に落ちないことば。「効果性」。

7つの習慣」とは、スティーブン・R・コヴィー氏の提唱する、人生において「効果性」を高めるための習慣です。 では、そもそも「効果性」とはどのようなことなのでしょう。「効果性」という言葉はわたしにはあまり日本語ではピンときません。日常で効果性という言葉もあまり使いません。「人生における効果性」?? 「効果的な人生」?? なんか、機械的というか非人間的な感じがするなぁ。でもコヴィー氏はそういうことをいいたいのではないのだろう。だとすれば、「効果性」「効果的である」とはどのようなことを意味するのでしょうか。以下、書きながら整理をつけていきたいと思います。

P/PCバランス

コヴィー氏の説明に従うならば、それは「成果」と「成果をあげるための資産または能力」の程よいバランスがとれていることだといいます(コヴィー『完訳 7つの習慣』キングベアー出版、pp.57-58)。

 

私なりに例を挙げて説明してみます。 

料理人にとって、カレーやパスタといった実際に調理された料理、それからお客さんからの評価や売り上げが「成果」であり、素材について知っていることや包丁や火を扱う技術が「成果をあげるための能力」に該当する。ヒットメニューを出した人気店の店主も今繁盛して客も多い(成果が出ている)からと、じっさいの調理にばかり追われ、料理の研究や試行錯誤をやめてしまえば(成果をあげるための能力の向上におろそかになると)、いずれ現在のメニューに飽きて客足は遠のき、「成果」をあげることができなくなるかもしれない。だから、「成果」と「成果とあげる能力」のバランスが必要なのであり、このバランスが保たれている状態が「効果的である」ということである。

 

ちなみに、コヴィー氏は、「金の卵を産む鶏」の例を挙げて説明しています。それによると、金の卵が「成果」であり、鶏が「資産・能力」に該当します。成果ばかり見ていて、鶏の世話を怠り、鶏が病気になったり死亡すれば、成果を手に入れる機会が損なわれてしまう、ということです。

 

だから「効果性」は、「成果Production」と「成果を生み出す資産ないしは能力Production Capability」から成る。このバランスのことをコヴィー氏は「P/PCバランス」と名付けています。ここまでは、話は理解できます。

それでもいまひとつぴんとこな

しかし、これで「効果性」が何なのか、理解できたことになるのか。効果性は、成果と成果を生み出す資産ないしは能力から成る「何か」なのはわかった。しかし結局「何」なのか。それが今一つ、わたしには、ぴんと来ない。人生における「効果性」?? 効率的に人生の上で物事を処理できるとか、そういうことではない、とコヴィー氏も言っている。効果性はイコール効率性ではないと。(効率性なら意味はわかる。少ない労力で、多くの成果を手に入れられることである。)

「人生における効果性」?
「個人の効果性」?
「効果的な人生」?
何を意味しているのだろう?? 成功を遂げられる、という意味??

苦し紛れの理解

こう考えてみてはどうか。

例えば、ナメクジを撃退するうえで塩をかけることは「効果がある」でしょう。しかし、ゴキブリを撃退したくて塩をまぶしても「効果」はありません。部屋を暖めるためには、ストーブをつけることが「効果的」なのであって、扇風機を回すことは「効果がない」でしょう。ナメクジに塩をかける効果性がある。部屋を暖めるのにストーブをつけることは効果性がある。

そうすると「効果性」は、「理にかなっていて実りをもたらすこと」だと言えるかもしれません。

この「読み」を仮に採るならば、以下のように読み替えが可能です。すなわち、
  • 「人生における効果性」?→「人生において、理にかなっていて実りをもたらすこと」
  • 「個人の効果性」?→「その個人が、理にかなっていて実りをもたらすこと」
  • 「効果的な人生」?→「理にかなっていて実りわもたらす人生」
7つの習慣とは、人生における効果性を高める習慣なのでした。
そうすると、7つの習慣とは、理にかなっていて実りをもたらす度合いを高める習慣である、ということになります。
 
うーん。われながらいまひとつ。「効果性」という言葉がふにおちない…。
いや、単純に「効果的であるということ」理解すればよいのか。人生のあらゆることにおよんで、効果的に対応できる、つまり理に適った選択をすることで望ましい実りをもたらすこたができる。それが人生において、効果性があるということだ、と。