プラグマティックな方法 ジェイムズ『プラグマティズム』
ウィリアム・ジェイムズの『プラグマティズム』を読了しました。学問の方法論について示唆を受けたくて読んでいました。
ジェイムズは、1842年生まれのアメリカの心理学者・哲学者ですね。名前は平凡ですが、偉大な学者です。文章は率直で情熱的。
さて、理解したはずの内容をいざ説明しようとすると、きちんと理解できているのか不安になってきますが…。
以下は、いつものように、わたしなりの「読み」「解り」の整理と提示です。やはりこうして、まとめようと咀嚼していると、得るものは多かった気がします。
※以下、引用文は、すべて、岩波文庫のW.ジェイムズ(枡田・訳)『プラグマティズム』からのものです。
既存の概念理解の方法として
プラグマティックな方法とは、このような場合(注:ある観念について論争が果てない場合) に当たって、各観念それぞれのもたらす実際的な結果を辿りつめてみることによって各観念を解釈しようと試みるものである。(p.50 原文傍点あり)
これ、とても実用的であるように思われます。ジェイムズの提示しているこのガイドラインは、とらえどころのない概念や、命題にたいして取るべき、私たちの態度を示唆しています。
例を挙げると「こころ」。「こころ」とは何でしょうか。「こころがある/ない」とは何を意味しているのでしょうか。どこからとっかかればよいのでしょうか。ジェイムズに従うなら、「実際的な結果」を辿ってみることで解釈の道が開けてくるはずです。
試みに考えてみましょう。「石にこころがある」ならば、我々は簡単には、石を蹴ったりすることができなくなるかもしれません。「ぬいぐるみにこころがある」とするなら、ごみ袋に入れて簡単にすてることはできないでしょう。このように「こころあるもの」と判断することは「大切にあつかわれる」という「実際的な結果」ともないます。「こころ」それ自体は、指をさして示すことはできませんが、その観念がもたらす「実際的な結果を辿る」ことによって、(何かに)「こころがある」か「こころがない」かという観念の違いは明白に示されます。
この場合、「こころ」は「大切にされるべき何かである」「苦痛を与えるべきものではない」という含意があるものと考えられるかもしれません。そしてされにその解釈から展開させて、「こころとは感受能力」(何かを感じる能力)であると理解する道も開けてくるかもしれません。
上記の議論はあくまで、「プラグマティックな方法」の適用の実例にすぎません。ですから、議論の中身それ自体が適切かどうかはおいておいて、ここでわかったのは、「こころ」というとっつきにくい概念も、実際的な結果を辿ることで、理解する手がかりが見えてくる、ということです。
新しい概念を活用する方法として
再度引用します。
プラグマティックな方法とは、このような場合(注:ある観念について論争が果てない場合) に当たって、各観念それぞれのもたらす実際的な結果を辿りつめてみることによって各観念を解釈しようと試みるものである。(p.50 原文傍点あり)
ここまでは、既存の概念を理解するための方法として、「プラグマティックな方法」を見てきましたが、新しく作った概念を活用するための方法としも、示唆されるものがあるように思います。
つまり、新しい概念を考案したとして(あるいは理論・仮説を構築したとして)それが何か意味をなすものなのかということは、その概念(理論・仮説)からわれわれの実際の生きている体験にどのような違いをもたらすか、を試金石とすればよい、という理解です。
簡単な例を挙げると、「冷蔵庫に牛乳が入っているかもしれない」という仮説を真とすることは、のどが渇いたとき、わたしに冷蔵庫の扉をあけさせる、という違いをもたらすかもしれません。しかし、実際なかには何も入っていないという経験をするならば、「冷蔵庫に牛乳が入っているかもしれない」という仮説は、わたしにとってなんの報いもたらされないものなので、破棄されます。
仮説の真偽は、我々の行動、行動からもたらされる経験によって、破棄されたり、確証されていきます。何かが「真である」ことは、あらかじめ規定された事物の固定的な状態を示すのではなく、人によってそうだと確かめられ、形成されていく動的な過程にあります(社会構成主義なら、社会的に構成される、社会において生成される、と言うかもしれません。ジェイムスの場合は、これが社会的な相互作用過程であるとの明示はありませんが)。ある観念(概念・理論・仮説)は、それの含意するものごとの確証のプロセスを導くものであり、その観念の真偽は、そのプロセスの中で、生成されるものです。
まとめ 「プラグマティックな方法」の援助実践での適用
さいごに「プラグマティックな方法」を援助実践の現場で適用すると、何がもたらされるか考えてみます。以下のようにまとめてみると、いたって常識なガイドラインだという印象になります。
- まず新しい「考え」(理論・概念・知識など)を学ぶ(または自分で思いついた際)際、それが援助実践にどのような違い(実際的な効果)をもたらすか考える。それにより、新しい考えの意味の理解が容易になる。
- 新しい考えが、援助実践にどのような違いをもたらすか吟味し、有用な違いをもたらすことが予想されるとき、その考えに基づいて実践する価値がある。
- ただし、考えの有用性は、験証されるべきである。
ここでいう「考え」は、「心理学的概念」でもいいし、「新しくできた社会資源の情報」でも、「同僚が言っていたこと」でも、自分で思いついた新・形容詞「ちづい」でも構わないはず。これによってあらゆる「考え」が活用可能になるのでないか。よし、このガイドラインを、試して験証してみよう。