援助論アンソロジー① クライエントが自ら選んだ…
- クライエントはこうあるべきとかこうなるべきと考えるものに向けてクライエントを変化させようとするのではなく
- クライエント自身が選んだ道をクライエントが歩んでいくのを促す
- クライアントを凌駕する必要は
- その人にできるだけの自由を許し、常に期待を失わずに傍らにい続けること
クライエントはこうあるべきとかこうなるべきと考えるものに向けてクライエントを変化させようとするのではなく
クライエントがニーズを満たすのを援助する際、ソーシャルワーカーはその取り組みにクライエントのゴールと希望を取り入れようとする。ワーカーがクライエントはこうあるべきとかこうなるべきと考えるものに向けてクライエントを変化させようとするのではなく、クライエントがこうありたいとかこうなりたいということを実現する。このやり方において、変化は自然な成長と発達の一部となる。ジョンソン、ヤンカ『ジェネラリスト・ソーシャルワーク』p.90
クライエント自身が選んだ道をクライエントが歩んでいくのを促す
セラピストの課題は、クライエントの目標に至るためのよい道筋だとセラピストが考える道筋を歩むようクライエントを指示することではなく、クライエント自身が選んだ道をクライエントが歩んでいくのを促すことである。キャンベル・パートン『パーソン・センタード・セラピー』p.8
クライアントを凌駕する必要は
私だけのスタイル。そのセッションの最後にはクライアントは自分なりのやり方を知り始める場合が多い。もしくは少なくとも、自分なりのやり方を見出せる自信を持ち始めるような場合が多い。したがって、多くの提案を行ったり、「エリクソン・スタイルの……奇抜な課題(…)を考え出すことで、クライアントを凌駕する必要は、セラピスト側にはない。むしろセラピストに必要とされることは、クライアントが自ら選んだ方向に自信を持って進んでいくことを単純に支えることなのである。Steve de Shazer『解決志向の言語学』p.389
その人にできるだけの自由を許し、常に期待を失わずに傍らにい続けること
筆者の仕事の中核は、実のところ「見守る」ことにあると思っている。(…)ある個人が本当に成長することは、「その人なりの」道を自ら見出し、つくりあげていくことであり、他人がかるがるしく教えたりできるものではないのだ。したがって、その間、その人が苦しい道を進んで行くのを見守ること以上に、することはないのである。(…)見守るということをもう少し詳しくいいかえてみると、その人にできるだけの自由を許し、常に期待を失わずに傍らにい続けることだと言えるだろう。(…)期待をもち続けるためには、人間の可能性を信頼することを学ばねばならない。河合隼雄『大人になることのむずかしさ』p.123