援助論アンソロジー③ 相互性。援助者の変化、成長
- 自分も変化するというリスクを冒す
- 私たちはみな変化を恐れています
- セラピストもどこかで成長していなかったら
- クライエントに与えるばかりでなく、クライエントから受ける用意がなければ
- サービスは互恵的なものなので
- そういう客観的な態度ではなく、共に生きていくということです
自分も変化するというリスクを冒す
クライエントにそれまでの古い考えから離れてほしいと私たちが願うように、私たちセラピストも自らの古い考えから出て行かなくてはならない。自分も変化するというリスクを冒すことによってのみ、お互いを認め合える会話、つまり対話は、新たな展開を見せてくれるのだから。
この過程を経てセラピストが変わるのである。私たちの治療倫理のエッセンスは、セラピスト自身が変化するリスクを承知でそれを覚悟するその姿勢にある。
アンダーソン、グーリシャン『協働するナラティヴ』pp.73-74
私たちはみな変化を恐れています
理解することは危険をはらんでいる(…)他の人を本当に理解しようとすれば、その理解によって自分自身が変わってしまうかもしれないのです。私たちはみな変化を恐れています。
カール・ロジャーズ『ロジャーズが語る自己自身の道』p.23
セラピストもどこかで成長していなかったら
クライエントによって自分が成長しないようなカウンセラーだったらクライエントは治らない。患者がよくなっているときは、何らかの意味においてセラピストもどこかで成長していなかったらだめです。それは本当に相共にするものです。
クライエントに与えるばかりでなく、クライエントから受ける用意がなければ
(…)ソーシャルワーカーは、クライエントに与えるばかりでなく、クライエントから受ける用意がなければ、クライエントにとって本当の援助とはなりえない。(…)ひとつの全体として意義深い仕方でソーシャルワーカーがクライエントに依存していることがあるとすれば、それは、クライエントに関して援助的役割をとらせてもらっていることである。こうした役割の特権的性質を十分に認めている人びとにとっては、これは、真に実質的な「贈り物gift」となるのである。
ゾフィア・T・ブトュリム『ソーシャルワークとは何か』p.131
サービスは互恵的なものなので
クライエントのパーソナリティが変化したか、また正しい方向に変化したか。すなわち、解放された活力と独創力が高い、より良い欲望と、より健全な社会関係の方向にむけられているか。ソーシャル・ケース・ワーカーは、パーソナリティに対する本能的な畏敬の念と、人間として人間に向けられる暖かい人間的な関心をもつことによってのみ、以上の疑問に答えていくことができる。しかし、肯定的に答えていくためには、ケース・ワーカー自身にとってもパーソナリティの成長が必要である。サービスは互恵的なものなのである。
メアリー・リッチモンド『ソーシャル・ケース・ワークとは何か』p.163
そういう客観的な態度ではなく、共に生きていくということです
河合 言いたかったら言ってもいいです。世の中にいかんということはないです(笑)。いちばん大事なことは、そういうことを言った後、クライエントの反応を見て、聴かないといけない。だからクライエントと共に成長するということです。
——クライエントをモルモットにするわけですね。
河合 そういう客観的な態度ではなく、共に生きていくということです。
——カウンセラーの進歩発展のためにクライエントを犠牲にしてもかまわんというようなことを聴きますが。
河合 それは言葉のあやでしょう。