クレしんの野原家。大企業型の家族
野原ひろし、「ハイスペック」
野原ひろしが「ハイスペック」というツイートがタイムラインに流れてきた。
・35歳、年収600万円
— KEN✏️6桁パパブロガー (@KenPaPasan) September 17, 2019
・専業主婦と5歳、0歳の二児を扶養
・東京日本橋の商社勤務
・都心まで通勤圏内に庭付き一戸建て保有
・自家用車保有
・浮気の心配ゼロ
・家族思いで休日は100%家族と過ごす
俺以上のハイスペック男子います?
そう、私は野原ひろしです。https://t.co/u73429Syv7
小熊英二さんが、『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)という本の中で、書かれている類型にあてはめるなら、野原家は、「大企業型」(後述)という分類になると思われる。わたしも、小熊さんの本を読むまでは、野原家(あとドラえもんの野比家もそうかもしれない)が日本の「一般的な家庭」であるかのようにイメージしていたが、実情はそうではないらしい(後で観るようにむしろ割合としては低い)。
三つの類型
野原家がそうであると思われる「大企業型」とは何か。
小熊さんは、現代日本の人々の生き方を三つに類型化している。
- 大企業型…「大学を出て大企業や官庁に雇われ、「正社員・終身雇用」の人生をすごす人たちと、その家族」(上掲書、p.21)
- 地元型…「地元から離れない生き方である。地元の中学や高校に行ったあと、職業に就く。その職業は、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、そのちほうにあるものになる」(同上、pp.21-22)
- 残余型…上の「大企業型」でも「地元型」でもない類型。
そして述べる。
概して「日本」を論じるとき、念頭に置かれる生き方は、「大企業型」であることが多いようだ。「日本」を論じる人々の多くが大都市のメディア関係者で、自分の生き方を念頭に議論しているからだろう。彼らの生活実感から「日本」を語れば、「日本人」は満員電車で通勤し、保育園不足に悩んでいることになる。しかし実際には、それは「日本人」の一部のことなのだ。上掲書pp.26-27
野原家も、野比家も、それは「日本人」の一部のこと。
実際、各類型の割合の概算は以下の通り。(pp.40-41)
- 大企業型…26%
- 地元型…36%
- 残余型…38%
このように大企業型は26%しかないのだから、野原家は日本の「ふつう」「当たり前の日本人の生活」とは言いづらい。ツイッターでの投稿者のリアクション(野原ひろしは「ハイスペック」「超理想的」「勝ち組」「エリートサラリーマン」等)といった主観的な評価だけでなく、統計的な数字もそれを支持しているということらしい。
夢・理想
小熊さんによると、しかし、「大企業型」の数が以前と比べて減ったのではないのだとのこと。今起こっているのは、「地元型」から「残余型」への移行だ、と。つまり、地元で自営業をやっていたような人々が、非正規雇用で働き始め、地元から大都市へと流入しているというような事態。
以下は小熊さんのおっしゃっていることではない。私の覚え書き。
①上記のようなことが起こっているのなら、このような推測は成り立つ。
すなわち「非正規雇用」という不安定な労働条件、かつ「大都市」という希薄な人間関係の中では、結婚はしづらいであろう、そうなると、今割合が増えている人たちは、結婚し子どもを産み、育て「家庭」を作ること自体に困難を覚えることになるだろう。つまり地元のような仲の良い知人、友人はいないし、収入も低く、安定しない。そうすると結婚しない、あるいは結婚を先延ばしするようになるのではないか、と考えられる。
(「残余型の増大:不安定な雇用環境・希薄な人間関係」→「晩婚化・非婚化:家族形成の困難」)
そうなると多くの若者にとって、ますます「野原家」は遠くに見えてくる。それは理想・夢・懐古の対象となり、現実から隔たっていく。
②野原家は、アニメとして成立する。家族で見られるアニメとして成立する。家族のあたたかい日常、愉快な日常、家族の絆を描く作品として。
他方で、いま増大している、非正規雇用の労働者の生活を描いたアニメは存在するか? するとしたらどのような作品がそれにあたるだろうか? それは、悲壮なものでもなく、皮肉や現実逃避でもなく、それ自体肯定すべき生活の様式を表すものとして、描かれているのだろうか?