ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

白衣は仕事をしてくれません。

「白衣を着た」ことで、仕事ができると勘違いして一人よがりになっている人が一番困るのです。白衣は仕事をしてくれません。仕事をするのは白衣を着ている人なのです。

菊地かほる『これがMSWの現場です』2014年補訂版、p.26

「白衣」は、社会的役割がその人に付与されていることを示す、一種の記号である。お医者さんは白衣を着る。コンビニの店員さんも、そのコンビニの制服を着ている。駅員さんも、おまわりさんも…。この場合、その恰好をしていることは、その人が何らかの役割、社会的ポジションについていることを示している。しかし服が仕事をしてくれるわけではない。もしそうなのだったら、大いにらくちんなのだけれども。


上記の文章の筆者は、MSW(医療ソーシャルワーカー)として長年お仕事をされてきた、菊地かほる先生。ほとんどの病院で、医療ソーシャルワーカーは白衣を着用しているそう。その白衣に憧れてこの仕事を目指す人がいることは認めた上での、上記の引用文の言葉。白衣が仕事をしてくれるわけではありませんよ、と。

 

しかし、考えてみると、制服のように目に見えるものばかりではない。それを身に着けることで、自分が何者かになれるかのように(あるいは何かできるようになるかのように)錯覚するのは。

 

「資格」もそうかもしれない。

 

世の中には数限りなく資格が存在する。わたしはソーシャルワーカー*1だが、ソーシャルワーカーの国家資格である「社会福祉士」「精神保健福祉士」を持っている。しかし、これもある意味「白衣」のようなものにすぎない。無論、資格取得のため、一定の規格のもとに教育・訓練は課されてきた。またこれを持っていれば、職場から手当てが付くとか、そういう実際的な利益はある。その意味では資格があるとないとでは、現実的な違いはある。それでも、「資格」が仕事をしてくれるわけではない。資格があれば仕事ができるようになるわけではない。そのことに変わりはない。仕事をするのは資格を持っているその「人」である。だから、菊地先生の言葉を借りるなら、「『資格を取得した』ことで、仕事ができると勘違いして一人よがりになっている人が一番困る」とも言えるのだろう。これは自戒をこめて考える必要があることだ。

 

そういう意味では、常に厳しさはある。資格さえあれば自分の実力が保証される、というわけでは必ずしもない、という側面があるから。他方で「いや、ある程度の実力がなければ資格は付与されない、ゆえに資格が付与されているということは一定の実力も保証されているはずだ」という考えもあるだろう。そういう資格も、中にはあるのかもしれない。そういう資格は「白衣」とは違うのだろう。しかし、私の持っている資格は、「白衣」に似たところがある。資格を取得することはスタートラインに立ったことを意味するにすぎない。その場合、外的な資格を保有しているかだけではなく、内的な資格が常に問われ続ける。

*1:ソーシャルワーカーというのがどういう仕事をする人なのかについてのわたしなりの説明。以前書いたもの

k-kotekote.hatenablog.com