ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

令和3年11月2日 手痛い学習体験

同一の事象に接していても、起こることへの反応の違いから、他者と自己の違いに気づく、という体験をしています。といっても、タイプの違う相手から、見落とし・盲点を次々と指摘されるということが起こり、目下凹んでおり、痛みを伴う学習体験であるわけですが…。

 

わたしは、現に起こっている事実とされるものよりも、起こりうる可能性に、関心を抱いているようです。悪く言えば現実に足がついていないということで、状況の把握が苦手ということ。よく言えば、人や物の持つ可能性を信頼するということで、現実を常に別の仕方で認識することができないかと、ふわふわと意識を泳がせているようです。

 

現状をしっかり認識して、物事を合理的に分析し、行動に移していく、ということ。これができると、いわゆる仕事ができる人になれるのかもしれませんが、残念ながら、それは私の苦手とすることです。どうも私のような人間は、単なる「事実」の集積は退屈に感じてしまう傾向があるらしく、例えば、誰それさんの出身地はどこで、年齢は何歳かとか、そうした事実的な情報は頭の中から消えてしまいがちです。

 

それよりも、現実とされるものを動かしている物事のパターンや法則性、あるいは現実を別の仕方で見、別の「意味」を読み取ること。人や物事がもつ、可能性、つまり今と違うあり方。物事に際して、そういう方向に意識は常に向かって行ってしまいます。

 

さて、このような困った人間がどのように人の役に立ちうるか。…という問い自体が、可能性を探求する問いなのだから、やはりもうこれは習癖なのだと言わざるを得ません。MBTIのタイプ論の用語を借りるなら、外向直観型の知覚様式、ということでしょう。

 

さて、明日は祝日。休み明け、どのように仕事へと向かっていけるか。