ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

「別の生き方」ができる社会。松本卓也『心の病気ってなんだろう?』読後メモ 

松本卓也さんの『心の病気ってなんだろう?』読後メモです。

職場の同僚にも勧めたくなる、すばらしい本でした。

心の病気の回復について考えるということは、僕たちの社会のあり方を変えることを考えることでもあるのです。心の病気の人たちが回復しやすい社会をつくるということは、「バリアフリー化」のひとつです。p.279

 統合失調症をはじめとした、心の病気を経験する方々の主観的な世界を理解する手がかりを与えてくれるばかりでなく、ソーシャルな視点も意識されており、複眼的でとても示唆に富んでいます。中学生向けということもあり、読みやすい。以下、興味深かったポイントを3つほど整理します。

 

正しさを一方的に決めないこと

「どんな治療法をするにしても、患者さんに対して、「よかれと思って」何が正しいかを一方的に決めないこと。そのためには、どういった治療を行うのかを、しっかりと患者さんと話し合うことが必要です。そして、その治療は、患者さんを「変える」ものではなく、「変わる」ことを支援するためのものだ、ということをつねに忘れないようにしなければなりません」p.76

「変える」ではなく「変わる」ことを支援するということは、患者さんを「操作」の「対象」として見るのではない、ということでもあるように思います。それが主観、"こころ"に関わる上で重要な心得であると、覚えておきたい。次のことばも同様。

「大事なことは、相手(患者さん)にとって何が正しいのかを、こちら(治療者)が一方的に決めてはいけないということです。この考えは、前の項で話した、相手を「変える」のではなく、「変わる」のを見守る、という大原則ともつながっています」p.74

それから、次は「善意」と「コントロール」についての厳しい指摘。

「やさしい気持ち」や「善意」には、危険な側面がある、ということをよく覚えておいてください。なぜなら、そういった気持ちには、「他人をある特定の"良い形"にしてあげたい、あるいは「自分が思うとおりに他人をコントロールしたい」という考えがどこかに入り込んでくるからです。p.77

人間の生き方には多様性がある。
特定の「良い形」にしてあげたいと思い、援助と称して相手に関与することは、援助者が思い描く「良い形」とはちがう他なる可能性の芽を踏み殺すことになりかなねない。ここで、援助者には「正しさ(良さ)の(少なくともさしあたっての)留保」とでもいうべきものが必要となるのだと思う。

 

回復とは。症状とは。

「回復する」とはどういうことか。

「回復する」ということは、前の状態とは違う形の生き方を手に入れられるようになることです。病気を通り抜けることによって、自分のライフスタイルが変化し、さらには自分が変化するということです p.274

たとえば、ちゃんとやらねば、周りにかけないようにせねば、と頑張っていた人が、適当でいいや、たまに迷惑かけることがあってもまぁいいや、と思えるようになることは「回復」であるかもしれない。回復は前のように戻ることではない。

心の病気の「症状」とは何か。

「心の病気の「症状」であるとされるものの多くは、ほんとうの意味での「症状」ではなく、むしろ病気からの「回復の試み」であると考えることができるのです」p.270

症状は、回復の試み。「心の病気」を経験している人は苦しみながらも、これまでとは別の生き方(他なる可能性)を模索し、「変わる」途上にあるのだと言える。

 

「別の生き方」が尊重される社会

そうだとするならば、「別の生き方」(他なる可能性)が尊重される社会であることが、「回復」には必要になる。

これまでの自分の生き方とは「別の生き方」。

また、社会の大多数に支持されるような「正しさ」とは「別の生き方」(マイノリティの生き方)。

「今の社会は、みんなが経済的な競争をすることが当たり前になってしまっていますが、それとは別の生き方を可能にする余地を増やすことが重要でしょう。
 繰り返しになりますが、心の病気をもった人は、いわゆる「健常者」から遠く離れた存在ではありません。だから、そういう人が、「マジョリティ(多数派)の生き方ではないような仕方で生きていきやすい社会をつくることは、どの人にとっても生きやすい社会をつくることにほかならないのです」p.283

 

「少し妄想も混じった仕方で世の中とつながって、そこで独自の仕方ですめるようになるというのが、「統合失調症」の人の社会復帰の方法だと僕は思っています」p.105

 

認知症の高齢者の徘徊が問題になるのは、徘徊すると危険な社会だからです。だとすれば、安心して徘徊できる社会をつくるべきではないでしょうか? p.268

 

マジョリティに戻ろうとするのではなく、マイノリティのままでうまくやっていけることが重要。多様な生き方、棲み方ができる社会であることが重要。それができるか否か、どの程度できているか、ということが社会の「成熟」を計る物差しとは言えないか。

 

他方で、ほんとうに多様性に富んだ個人が多様なままで共存しうるということは、困難な事です。いわゆる健常者同士の職場の同僚との間でも、価値観の相違から、腹が立ったり嫌な思いをすることもあり、対話が閉ざされていくことが起こります。また当事者同士のあいだでも、陰口がささやかれたり、衝突が生じることもあるでしょう。

心の病気の回復について考えるということは、僕たちの社会のあり方を変えることを考えることでもあるのです。心の病気の人たちが回復しやすい社会をつくるということは、「バリアフリー化」のひとつです。p.279

 多様性を包摂する社会はどのようにして可能なのか、というのは理論的にも実践的にも大問題ですが、理想を机上でおわらせずに、現場で実らせるための地道なステップを踏む努力を続けていきたいものです。