ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

10月のリフレクション

あれよあれよと、通り過ぎて行ったひと月でした。気づけば葉も赤く、風も冷たい。季節の移ろいを味わうこともできず、悔いている。9月の末ころにノートに書きつけた、10月に取り組みたい・心がけたいことも、着手することできず、という状態。とにかく、①職業上、新しい局面に入った気もしており、いくつかの新しい状況に対処せねばならず困惑していたこと。加えて、②上司や先輩からの、いくつかのダメだし(客観的には教育的指導、というべきか)に人並みにへこんでいたこと。これらのことから、朝、夕のプライベートな時間も、呆っと過ごすばかりで、あまり中長期的に有益な行動をとることができず、目先の対処に追われていたように思います。読書は中長期的に有益な行動のうち、代表的なものですが、部屋の中のそこらに、読みかけの本が散らばっている有様。

 

「部屋の中の散らかり具合は、現在の自分自身の精神状況を反映するものである」という命題は、経験上確かなものと私は感じているのですが、今の室内の乱雑さは、あまり好ましいものではありません。精神的に余裕がなく乱れているために、部屋の中も乱雑になっている、という因果関係の向きと、部屋の中が乱雑であるがゆえに、精神的にも落ち着かないのだという、反対方向の因果の矢印も一定程度は、成立するとも思います。そうだとするならば、(職業生活上の困難は、そう簡単には解消できるものとも思いませんが、)部屋の掃除くらいならば、時間をかければ、現実的に実行可能なのだから、せめてそのくらいのことはして、心を整えておきたい。

 

あと、もうひとつ書いておきたくなったのは、周囲の期待と、自分自身が価値を置いていること、というような主題について、です。陳腐な話ではありますが、周囲の期待に合わせて行動しようと試みると、やはり自分を見失うのだ、ということを現在進行形で経験しつつあるようです。相手(上司、先輩…)は何を求めているのだろう、と想像し、それに対して適合させようという努力は無限の苦しみを生むような気がします。せめて、リアルな相手とのやり取りの中で何が期待されているのかを確認することが、妄想や邪推の拡大予防にとって必要なことです。妄想を打ち消すのは、やはり現実との相互作用なのではないか、と。そして、そもそも私は何をやりたいと思っているのか、どのようなことに価値を置いているのか。そのことに改めてフォーカスして、熟考してみる必要もありそうです。