臨床を続ける一握りの勇気。『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』松本俊彦先生の新著を読んで
精神科医の松本俊彦先生の新著、『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』を読みました。以下、この本のちょっとした紹介と、覚え書きです。
みすず書房から出ている、装丁もとても美しい本です。
著者は言わずと知れた薬物依存症や自傷行為などの治療で有名な精神科医の松本先生ですが、アディクション領域に足を踏み入れたのはまったく不本意な医局の人事によるものだったという告白からスタートします。
専門的な内容というより、松本先生の体験されたエピソードが多く語られているので、とても読みやすいです。「え、松本先生、こんなプライベートなこと、赤裸々にされて、大丈夫なの…?」と思うほど(高校時代の恋バナとか)。シリアスでシビアな現実を語る「真面目」な本ではありますが、堅苦しくなく、読み物として楽しめる部分もあると思います。
例えば、たしかちくま新書の『薬物依存症』に高校がとても荒れた学校で、シンナーを使っている生徒も多かったが、そのうちの多くが自然に治療を受けることもなくシンナーをやめていったこと、一方でやめられない人もたしかにいてそれはなぜだったか、について書かれていましたが、松本先生の通われていたその高校の様子や友人とのエピソードが、この本では実際に描かれています。まるで一個の青春ドラマのような感じです。
ところで、松本先生は外来診療日の朝は憂鬱で処刑台に向かう囚人のような足取りで診察室に入るといわれるのですが、これには大変癒されました。朝9時前から夕方6時までそこから出られず、出ては入って来る患者さんとそのあいだじゅう、関わり続けなくてはいけない。先生にゆっくり話を聞いてもらいたい患者さんも多い。一方でまだまだ待合室で待っている患者さんもおられる。そんなとき、「では、お薬を追加しておきますね…」という言葉が、解決策にはならないことを承知の上で苦痛から逃れるために口をついて出てしまうというのです。
わたしが癒されるのは、松本先生のように実践を積み重ね、様々な本を出し、TVにも出演するような「偉い先生」でも、このような悩みを抱えているのだという事、そして過ちや弱さを率直に告白する姿に心打たれるからです。
また、これはこちらも最近出たばかりの森川すいめい先生の『感じるオープンダイアローグ』とも交差するところだと感じています。それは2点においてです。一点目はこの本でも著者が権威の陰に隠れることなく、自分自身をさらけ出している点。もう一つは、精神科医療の構造的な問題への批判的意識という点(なぜ日本では処方薬および入院患者数が国際的にみても多いのかというと、そのどちらもがロー・コストだから。薬の処方はじっくり話を聞いて相手を理解しようとし一緒に悩むより、よほど手っ取り早い解決策だし、もともといたコミュニティで行う個別的なケアより、入院という画一的な集団処遇・管理の方が手はかからない…)
森川すいめい先生の新著。第一章まで読んだ。
— k_ktkt (@kkk87026984) 2021年4月18日
こころの中に雨が降って、胸が一杯になって一息。
違和感や怒りを感じながらも、システムの一端を担う存在になっている者として、「加担」という言葉が、濡れた毛布のように重たい。 https://t.co/I2Cd0upT4S
わたしも精神保健福祉の領域で仕事をしている人間ですが、すぐさま解決しようのない(手っ取り早い解決策のない)矛盾や葛藤を抱えたまま生きていく上で、一握りの勇気をもらった気がしています。
『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』 目次
「再会」――なぜ私はアディクション臨床にハマったのか
「浮き輪」を投げる人
生きのびるための不健康
神話を乗り越えて
アルファロメオ狂騒曲
失われた時間を求めて
カフェイン・カンタータ
「ダメ。ゼッタイ。」によって失われたもの
泣き言と戯言と寝言
医師はなぜ処方してしまうのか
人はなぜ酔いを求めるのか