ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

ソーシャルワーカー各々が固有の理論を持つこと

ソーシャルワーカーの各々が、実践の理論というものを作っていかなくてはならないのではないか、ということを考えています。

 

ソーシャルワーカーは所属する機関の性質によって実務の在り方というものが、大きく変わってくるものです。所属する機関とそこから期待される役割、制度的な制約、逆に言えば付与される権限は、ワーカーの属する場の性質によって様々であるはずです。例えば、退院調整を機関の役割として期待される、とかケアマネジメントが主たるその機能であるとか、就労の指導を行うことが機関の主たる役割である、などなど。

 

2014年のソーシャルワークのグローバル定義には、「ソーシャルワークの実践は、さまざまな形のセラピーやカウンセリング・グループワーク・コミュニティワーク、政策立案や分析、アドボカシーや政治的介入など、広範囲に及ぶ」と述べられています。つまり、ソーシャルワーク実践の具体相としての「何をするか」は、本当にさまざまな水準があり、画一的なものではありえないわけです。先ほど述べたような、機関の性質、介入のターゲットとなるシステムの大きさ、ワーカーとクライエントが存在する地域の性質、クライエントの好み、ワーカーの持つ権限、等々によって、ソーシャルワーク実践の具体相としての「何をするか」は、多様な仕方で規定されてきます。

 

無論、ソーシャルワークのプロセスとしての基本形は存在するはずだという指摘は、もっともなことです。インテイク、アセスメント…といったおなじみの概念によって私たちの実践を或る程度共通的に記述、説明することは可能ではあるでしょうから。しかしながら教科書を読んでみても、感じてしまう、実践現場とのあの懸隔。せっかく勉強したのにあまり有用と感じられない経験。それらがつきものであるのは、理念型としての基礎理論は、理論として、ある程度の汎用性を獲得しようとするその代償に、実践現場での具体相にともなう個別具体的ななまなましさをそぎ落としてしまうからではないか。

 

結局のところ、理論を現場で展開すると、その場に適合するために、実践は多様な形態をとらざるを得ません。それは昆虫が、自身の住処(沼地、砂地、海辺…)に応じ、そこに適応していくために、自身の姿を変異させ、種として分化していくことに似ています。自身の「現場」において、固有の実践が、抽象的な(ソーシャルワークの実践)理念を展開していくためのさまざまな工夫とともに、創造的に織りなされていくことが必要となります。

 

よって、そのような基礎理論を、一種の抽象的な座標軸として参照しつつも、自身の実践の現場にフィットするようなある種の「特殊理論」が個々のワーカーによって生み出されてくることが意味を持つのではないだろうか、と思います。

 

理由は2つありますが、まずひとつは、そのように自身の実践を言語化することによって、それをソーシャルワークの理論や価値と照合し、批判的に吟味しつつ、ソーシャルワークの文脈に定位することができるようになるから、というものです。つまり、理論化していったん目の前に置くことによって、さらに実践を発展させていくことができるようになる、というのが一つ。

 

二つ目。それは、特殊な理論のもつ固有の説得力が人を鼓舞するからです。それは、普遍理論ではなく、特殊理論であり、よって汎用的な実用性は高いものとはならないはずです。しかし、特殊な実践を特殊なままに語ることは、普遍的ではあっても無色透明な基礎理論を語るのとは異なる種類の、説得力をもつのではないだろうか。そしてそれは、そのまま別の現場で適用はできなくとも、人を鼓舞し、触発するのではないか。そのようにも思います。