ジェンドリン『プロセス・モデル』(Gendlin "A Process Model")イントロダクションを丁寧に読む〈最終〉
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今回で、イントロダクションは最後となる。
さて、「その全部all that」を伴いやって来る、非特定の豊饒性(unspecified richness)。これは、相互作用を暗に示しているということだった。
第Ⅳ章とⅤ章は、ほぼ同じ筋を続けていく。「暗なる指し示し-の中へ-生起すること」が異なる文脈で生じるのはいかにしてであるのか、詳細に説明しつつ。
『プロセスモデル』は、次のように事態を描く。基本的primalかつ即時的そして身体的に感じられる「その全部all that」という暗なる指し示しとして、非特定の豊饒性はやって来るのだと。「その全部all that」すなわち、ウィリアム・ジェイムズが「一挙の多the much-at -once」と呼ぶもの。そしてこれこそ、この本が膨らませ、展開していくものである、すなわち——「その全部」という身体的に感じられた暗なる指し示しと共に(を通して/において)、我々の行動、知覚、言語、そしてすべての人間の生は、いかにしてやって来るのか。P.XX
非特定の豊饒性=all that=体で感じられる暗なる指し示し
非特定の豊饒性は、
①或る何かについての「全部all that」であり、暗なる指し示しである。
②それは身体的に感じられる。
③また基本的primalかつ即時的immediateである。
という。まだspecifyされていないrichさ。つまり、いちいち明細に言葉でいわれていないが、とても豊かなもの。それは何かについての(例えばあそこに見えるカウチ)「まるごと全部の感覚」であって、体で感じられる。それはimediateその場その時にすぐさま感じられ、言葉よりで言い表すよりもっと、primal基本的なもの。
ジェンドリンの本『フォーカシング』で、「誰か知っている人を思い浮かべてその全部を感じてみてください」という教示があったのを想い出す。わたしたちは、よく知っている知人(例えば、兄)について思い浮かべ、感じてみることができるが、その時感じているのは、知人についての「まるごと全部」である。その「まるごと全部」から、知人について知っている、さまざまな側面を言葉にしていくことができるだろう。
ここでいう、"all that"とか、"the much-at -once"というのは、そういうものだろうか。
・知覚
・行動
・言語
・人間の生living。
これらは、「それ」と共に、「それ」を通して、「それ」においてやってくるcomeという。そして、それが「いかにして」howであるのかが、この本の主題であると。