活きた模範をよく心にとめるがいい
聖なる父たちの活きた模範をよく心にとめるがいい
トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』岩波文庫、p.38
だれもが持っていないだろうか。このような人を。
恩師。
恩人。
あるいは、人間の理想とでも呼ぶべき人。
トマスは言う。聖なる父たちの活きた模範をよく心にとめよ、と。
わたしはキリスト教徒ではないから、「聖なる父たち」「聖なる教父」を模範として思い浮かべることはできない。
しかし、誰の心にも住んでいるのではないだろうか。
たとえ目の前にいなくても、模範となり、指針を示してくれ、それによって自らを省みることを可能とさせてくれる人が。
困難にある時、語りかけてくれる人が、あるいはただほほ笑んで共にいて下さり、力を与えてくれる人が。
それは実際に会ったことのある実在の人物であるかもしれない。
あるいは書物の著者、あるいはその中の虚構の人物であるかもしれない。
行き詰った時、わたしは話しかける。たとえば「河合隼雄先生、先生ならこういう時、どうお考えになりますか」「インスー、何か役に立つ言葉をください」。そして河合先生やインスーの本を紐解く。
ただ顔を想い出すだけで十分な人もある。それだけで涙のにじむ体験を、私たちは持つことができる。それによって慰めと前に進む勇気を私たちは取り戻す。
その活きた姿を心にとめること。それによって慰めを与えられ、活力を与えられる、そのような人との出遭いは、人生の宝ではないか。そのような人たちが、わたしの心の中には活きている。
「聖なる父たちの活きた模範をよく心にとめるがいい」。