ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

瞑想日記。とても静かなところ

瞑想日記。

わたしの家の近所には禅宗のお寺があるのだけれど、日曜は一般の人に坐禅堂が公開され、利用することができる。おじいちゃんやおばあちゃんに囲まれ、本日(12/8)はそこで瞑想。75分。

 

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数息観を中心に。
数を7つで切る方法を行う。老師(お寺の住職)に教えて頂いた方法を、自分なりにアレンジしたもの。つまり、通常の数息観を行いつつ頭の中で、

 一 二 三 
 四 五 六 七

とイメージする(心の中に数字を視覚的イメージとして思い浮かべる)。
七まできたら、これでひとまとまりとして区切り、頭の中の数字をいったん白紙にして、あらたに八から数え、白紙の頭の中に書きなおす。

 八 九 十
 一 二 三 四

そしてここまできたらまた頭の中をいったん白紙にして続きの五から数えていく。

 五 六 七
 八 九 十 一

以下、同じように続けていく。要は、数を七個分数えたらそれを一区切りとみなす、ということ。わたしは、上下二段で視覚的なイメージを作って7つ分数えることにしているけれど、別に横並びに数字を七個数えてもいい。ただそれは私には難易度が高いのでやらないだけ。

 一 二 三 四 五 六 七
 八 九 十 一 二 三 四
 …

この方法の利点は、集中力を喚起するということ。
通常通りの数息観も、慣れないうちは一から十のうち、どれを数えているかわからなくなることがあるけれど、慣れてくると、多少ぼうっとしていても、自動的に一から十まで数えることができてしまう。それでは緊張感がなくなってしまうので良くない。

 

そこで、通常の数息観に加え、数を7ずつ区切るという作業を付け足すと、一気に難易度が増す。気を抜くと、どこをやっていくのかわからなくなるので、また、一からやり直し。

 

今日は、この「7切りの数息観」を行って、ある程度集中力をつけてから通常の数息観へ。そうすると、通常の数息観の息を数える作業に、先ほど養っておいた集中力をつぎ込むことができる、というわけ。言い換えると、50kgのダンベルで運動したのち、20kgのダンベルに持ち帰ると、楽ちんにできるようなもの。おそらくその際は、ダンベルの上下のコントロールに余裕もできるだろうけれど、それに似ている。

 

最後は、数息もやめて、随息観へ。数も落として、単純に坐って息をしていることへ移行。数を落としてしまうと、やはり心が散乱しがち。さまざまな想念が心の中にとっちらかる。いろいろ工夫はしたけれど、あまり集中はできたという感じはしない。

 

ただ今日の瞑想では、新しい発見があった。
それは、心のさまざまな思いの発生がありながら、その背景(というか源というか…)には静けさがあって、色々と騒がしい想念が生起しつつも、その静かな場所に触れることができるということ。

その「静かなところ」は、快でもないし不快でもないのだけれど、何かしら暖かみのようなものがあって、安定感があるということ。

喩えて言うなら、プールサイドのようなもの。プールの中は、波に揺られて、体はただようばかり。でもプールの縁につかまると、波の揺れはあっても、一定の安定感を得ることができる。プールの縁は、どんなに波がゆれても動かないから。その「静かなところ」は、プールサイドのようなもので、そこにある。それは、床石がものいわぬように、何も言わない。今日の発見はそれ。

そういえば、鈴木大拙が「宗教の極致というものには、木や石のようになってよいというところがある」と言っていたのを想い出す。何かしら関連するのだろうか。研究が必要です。