ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

おじさんと学生

理性の導きによって生活している人間には、あわれみはそれ自体で悪であり、また無用である。なぜならあわれみは(…)悲しみである。だから(…)それ自体で悪である」

スピノザ『エチカ』第四部、定理50(工藤喜作、斎藤博訳)

……

北海道の桜の開花は遅い。
まれにぽつりと水滴をこぼす、憂鬱な曇り空の下、早くも桜はちりぎみだった。

ゴールデンウィークのさ中の今日、大通りを歩いていると、大学生くらいの若者の集団とすれ違った。男女混成で、7、8名はいただろうか。団子のようにごちゃごちゃと歩いている。

すれ違いざま、わたしの脳裏に浮かんだのは、学生時代、飲み会が終わり、店の前でたむろしていた夜の場面だった。

……

所属していた専修の、数少ない飲み会が終わり、さっと解散できず、店の前でぐずぐずたむろしていたのだったか。10メートルくらい向こうから、30歳くらいのおじさんが何かをわめいていた。兵庫県神戸は六甲、あの小狭い路地。小道一本挟むくらいの距離からの、われわれへの遠隔射撃だった。何を言っていたかはよくわからないし忘れてしまった。ただ、こちらが楽しそうに見えたのが不満らしく、ねたみとうらみをまじえてなげかける言葉が、よわよわしくおっかなびっくりで自信なさげだったことはよく覚えている。そして一方的に攻撃を仕掛けてきたのに、なぜか逃げ腰だった。

わたしたちは、会話を中断し、彼のほうをみたが、だれも何もいわなかった。別に怖くはなかった。道一本離れた距離だし、こちらのほうが人数が多かったし、彼はあんな様子だったから。

そんな状況を見て、とっさに見知らぬお兄さんコンビが、ふにゃふにゃとわめいている男に「まぁまぁお兄さん、そんなこと言ったら…」と近づいていってくれた。近づきざま、ちらりとこちらを気遣って振り向いたスマイルは、何かおいしいものを見つけて喜ぶ、いかにも元気はつらつとした健康な動物のような目をしていた。わたしたちは、男のことはお兄さんたちに任せ、次の店に行くことにしたが、なんだか会話は弾まなかった。そして誰も彼のことを話題にしようとしなかった。

……

…というあの夜のエピソードが、学生集団とすれ違いざまに、瞬時に脳裏に浮かびあがった。学生たちを目の端でとらえ、わたしが、あの男性と同じくらいの年齢に近づいてきたことを感じつつ。わたしたちはあの人の叫びを黙殺した。しかしあの出来事は、未だにわたしのなかに、一個の宿題のように残っていて訴えかける。

                                                              R1.5.2