ちらかし読みむし

心理療法、社会学、福祉などの領域の読書録、本の紹介など、その他書きたいことを書いています。

クライエントとの関係における自己一致。ジェンドリンを参照しつつ咀嚼

この記事では、ロジャーズの有名な中核三条件の一つである「一致」について、ジェンドリンの論を参照しつつ、咀嚼していきます(走り書き)。クライエントとのかかわりの中で、一致しているとはどういうことか。ジェンドリンの言葉では、一致しているとは、単に言葉だけでなく、その体験過程も持っているということです。

 

「一致」「純粋さ(誠実さ)」ロジャーズ、ジェンドリンの説明

人の変化・成長を促す、援助者(援助関係だけでなく親子関係、上司と部下の関係などあらゆる人間関係一般についてそうなのだが)の条件をロジャーズは、「一致」「共感的理解」「無条件の肯定的配慮」と定式化していることは有名。そのうちの一つ、「一致(純粋)」についてロジャーズ自身の言葉をまず以下、引用。

第一は見せかけのない事、真実、一致と呼ばれる要因です。治療者が専門家としての仮面で接することなく、自己自身であるほど、来談者は建設的変化を示すといいうものです。これは、治療者がその瞬間に内部で動めいている感情や態度に開かれていることを意味します。『透明』という言葉がこの雰囲気を伝えているかと思います。つまり、治療者は来談者に対して自己を透明に示す。来談者は関りの中で治療者の存在を見通すことが出来る。カール・ロジャーズ(畠瀬・訳)『[新版]人間尊重の心理学』創元社、2007、p.102

一致とは、「その瞬間に内部で動めいている感情や態度に開かれている」こと。
これをジェンドリンは「概念化と同じく体験過程を持っている」とシンプルに表現している。ここでいう「純粋さ」は「一致」と同義。

純粋さの問題は単純なものです。つまり、カウンセラーは、彼が表現する概念化と同じように現在の体験過程も持っているのか、あるいは概念化だけしか持っていないのか?ということです。もし、彼が概念化と同じく体験過程をも持っているならば、その時そのカウンセラーは純粋にクライエントを経験しているわけです。(ジェンドリン(筒井・訳)『体験過程と意味の創造』ぶっく東京、1993、pp.285-286)

カウンセラーが表現するとき、その表現(概念、ことば)の体験過程も持っているということ。それが一致。「一致」とはどのようなことなのか。わたしはふだん、一致した態度を持てているのか。説明を読んでも、よくわかりません。

 

…と、いま言った、「よくわかりません」は一致している表現の実例だと理解してよいだろう。なぜなら、わたしが今感じている、わからない「感じ」に直に照らし合わせたところから発せられた言葉だから。

 

体験過程に触れつつ聴く試み

このように、いま感じているこの感じ(=「体験過程」)から語る、ということが一致しているということ。では、クライエントとの関係の中で、体験過程から語るとはどのような事なのか。「一致」を概念的に理解するだけでは不十分で、果たしてわたしは普段、一致して他者とかかわりを持つことが出来ているのか。つまり、一致した態度を保持しているのか。youtubeでなんでもいいので、人が話している動画を見ることとした。そのとき、わたしに何が起こるのか。今回は、宮越大樹さんが、5分くらい話している動画を観つつ、自身の体験過程に注目。


『変わろうとしない相手』にどう関わるか【宮越大樹コーチング動画】

 

話を聴いていると、お腹・胸のあたりに、理解の感覚が蓄積していく感じがするのがわかる。そして、理解できない感覚、ついていけない感覚も、そこには生じる。動画を一時停止して、相手の言わんとすることを、自ら言葉を出して、自分なりに表現しなおすことで、「あぁ、そうか、そういうことだよな」と腑に落ち、次の言葉を受け入れる余地が生まれる。その感じは、動的なもの。これらを行う際、体験過程に照合していなくてはすることができない。おそらく、生身の相手を目の前にする時であれば、ついていけないもやもや感が生じた時など「あなたがおっしゃっているのは、こういう理解でいいですか」とか、「それはどういうことですか」と確かめることは、自身の体験過程にふれた応答の実例、ということになるのでないか。

 

まとめ

以下は、わたしの理解です。

クライエントに耳を傾ける際、聞き手は、自らの体験過程(感じの流れ)に触れている必要があります。その感じの流れをセンサーとして、クライエントに耳を傾け、そして、「そこ」から応答することが、「一致」している態度の表現だということだと思われます。

このような在り方は、何度も何度も思い返し、練習していく必要のあるものに思われます。この感覚、つまり、自身の体験過程に触れつつ相手の話に耳を傾けるという感覚。忘れないように、そして意識しなくてもできるように。

参考資料:ジェンドリンの「一致」論。セラピストの真実の自己表現

以下、ジェンドリンの論文―Gendlin, E.T. (1959). The concept of congruence reformulated in terms of experiencing. Counseling Center Discussion Papers, 5(12). Chicago: University of Chicago Library. *1―より、純粋性(誠実)についての該当箇所を抜き書き。

誠実なセラピストにおいては、この感じられた照合体は彼の表現の基盤として機能する。したがって、彼の応答は常に、その関係性を体験している現在の体験過程の何らかの側面を象徴化することとなる。

 

セラピストは継続的にクライエントの表現行動を体験し知覚する。セラピストの感じのプロセスは、体験の統合であり、これはクライエントについての現在の知覚を定め、統合すべく機能している。

 

誠実な応答は、セラピストの真実の自己表現であり得るが、またクライエントの世界についての[セラピスト側の]統合した知覚の表現でもあり得る。